安政5ヵ国条約で神奈川宿に領事館が置かれることになった時、各国はそれぞれ選んだ寺を借り上げた。

幕府の仲介とあらば寺も拒めまいが、この時米国の長老派教会宣教師として来日したヘボン式ローマ字の創始者ヘボンは成仏寺に住んだ。

彼の書簡によれば本堂の仏像を取り払い、そこで安息日の礼拝をとり行ったという。異教の伝道所にされた寺側だったが、十分な家賃を受け取り満足だったらしい。

来日したキリスト教徒の外国人を驚かせたのは、実に寛容で融通無碍な当時の日本人の宗教意識だった。
以上は今朝の毎日新聞余禄より転用した。

~現在でも日本人は諸外国の宗教意識と比べれば寛容と思う~

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