朝一ニュースとして取り上げたいのは和歌山市和歌の浦を中心にした 旧日本軍:本土決戦の作戦地図発見の報道。msnニュース(毎日新聞 2015年03月22日 12時00分(最終更新 03月22日 19時17分)) 報道内容は下記の通り

 太平洋戦争末期、連合軍の上陸に備えて旧日本軍が描いた和歌山県沿岸部の作戦地図が防衛省の防衛研究所(東京都目黒区)で見つかった。速射砲や坑道式陣地など、配備箇所を示す印が詳細に記載されている。

 景勝地として知られる和歌浦も、機関銃や大砲で覆い尽くして要塞(ようさい)化する計画だった。仮に本土決戦に突き進んでいれば、この地でも地獄絵図が展開していたことになる。

 専門家によるとこれだけ精度の高い作戦地図が残っているのは珍しく、軍部の本土決戦に向けた計画を知る貴重な資料と言えそうだ。


 作戦地図は少なくとも7、8枚あった。和歌山市や海南市、有田市など同県沿岸部の測量地図をトレーシングペーパーに写したうえで、敵艦の上陸しやすい砂浜を中心に山間部や市街地にも多数の機関銃や坑道の印を記載。

 指揮所、榴弾砲(りゅうだんほう)(大砲)、弾薬庫、擲弾筒(てきだんとう)(グレネードランチャー)などを戦略的に配備していたことがうかがえ、和歌山城にも監視所、速射砲などの印があった。

 旧日本軍は太平洋戦争末期、本土決戦の時期を1945年11月と想定。連合軍側は九州南部の航空拠点を確保する「オリンピック作戦」、湘南海岸(神奈川県)などから東京攻略を目指す「コロネット作戦」を構想していた。

 日本側もこの構想をつかみ、両地域に大きく兵力を割いていた。ただ、これまでに知られていた防衛研究所所蔵の作戦地図は、防衛拠点として山一つを丸で囲む程度で、今回明らかになった和歌山の地図と比べて精度が低い。

 また地図には「護阪部隊」の部隊名が記されている。護阪部隊は1945年春、大阪を守るために大阪から和歌山にかけ配備された第144師団の通称名。防衛研究所にも同師団の作戦指示書や、敵の上陸直前期や上陸後の戦い方を記した同師団の計画書が残っていた。こういった資料は他地域ではほとんど残されていない。【稲生陽】

 
◇現地で坑道跡確認

 作戦地図を見つけたのは、和歌山市在住の城郭研究者、角田誠さん。防衛研究所の収集資料を閲覧して発見した。

 角田さんは昨年3月に65歳で死亡、2年前に地図を託されていた研究仲間、森崎順臣さん(70)=同市手平3=が角田さんの研究を継ぎ、地図を基に現地調査を続けている。これまでに、和歌山市内で少なくとも5カ所で、実際に掘削した跡が確認できた。


 山の斜面の固い岩盤が奥行き10メートル前後も掘られており、銃器を置いたり、戦車に体当たりする兵士が潜むための坑道跡と考えられるという。高台では尾根を貫通する形に掘った坑道もあった。

 いずれも坑道の出口は海岸を向いており、上陸する敵を狙撃する場所だったとみられる。周辺の小学校の校史にも1945年7月の和歌山市内の大規模空襲の直前まで、同師団が掘削作業のために校舎を頻繁に借りた記録が残っている。

 森崎さんは「当時は軍も機関銃などが不足しており、自爆攻撃が現実的な作戦。もし戦争が長引いて地図通りの市街戦になっていれば和歌山だけでなく全国各地で沖縄のような莫大(ばくだい)な犠牲者が出ていたはずで、こんな無謀な市街戦を計画していたことに恐ろしさを感じる」と分析している。

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